こんにちは。ピイル めぐみ (Megumi Piel) です。
私自身の旅の出発点とも言える、東アフリカ(ケニア, タンザニア, ザンビア, ジンバブエ)。
その 「治安と庶民の生活」 について、 私自身が 見て経験したことの中から、その一部を書いてみようと思います。 ※ブログ記事に少し加筆しました
写真: 安宿の部屋から外を眺める私 in Nairobi
東アフリカを旅した5ヵ月の間、治安がとても悪いため 被害に遭った旅仲間に 何人も会いました。
どんな被害かというと、 人混みでスリ被害に遭うのは比較的 軽い方で、 外出している間に ホテルの部屋に空き巣に入られたり、 昼間に街を歩いていて突然数人に囲まれ、身につけていた貴重品を強奪された人も 何人かいました。
こういった被害に遭うと、その被害額以上に 精神的ダメージの大きいことが旅仲間を見て分かりました。 被害に遭うのは男女関係なく、日本人も欧米人も、現地のアフリカ人でさえ、 運悪く 隙(すき)を狙われてしまった話は数えきれず、 「明日は我が身」と誰もが緊張感を持ちました。
ナイロビ(ケニア)のスラム地区では「泥棒市場」と呼ばれる盗品が売られている市場があり、 一度 旅仲間に誘われて一緒に行ってみました。
あばら家の並んだ掃きだめのような地区にある「泥棒市場」には、 先進国では売れないような品質の日用品が 並べられていて、私達が欲しいと思う物はなく、 自分が客として商品を見る以上に、私達の提(さ)げているカバンの中身が商品として狙われていることは明らか。
場所がら長居はしたくないので、少し急ぎ足で 見て回り、何も買わずに宿に戻ってみると…… 旅仲間の提げていたカバンの丈夫な布地がパックリ切り裂かれていました。 カバンには貴重品を入れていなかったので特に被害はなかったものの、鋭利な刃物で切られた痕(あと)を見て、一体いつ そんな隙があったのか……本人も、すぐ隣を歩いていた私も気づきませんでした。
承知して出かけたけれど、実際に隙(すき)を突かれたことで改めて 気を引き締め直しました。
しかし、スラム街や泥棒市場で目にしたものや経験したことは確実に世の中の一部であり、 それを身をもって知ったことは個人的に 貴重な経験の一つになっています。
世界には先進国や富裕層が存在する一方で、どう頑張っても貧困から抜け出せない地域や人々がいる。 海外へ行きたくても 一生行けない人が多いアフリカで、こうして旅ができる立場にあるということは、 大きな社会システムの中で間接的に搾取する側にいるということかもしれない…… 不均衡な世の中を目の前に突きつけられている気がしました。
アフリカの庶民の生活が少しずつ分かってくるにつれ、 スラム街も 泥棒市場も実際に存在している「日常の一部」だと意識が変わっていきました。
というのも、規模や程度は違えど同じような状況を 繰り返し目にするし、 アフリカに限らず、ヨーロッパや日本、アジア、北南米、豪州など、 世界中どこでも 超高級地域がある一方で貧困地域も存在していて、 ただその事実を見過ごしている、あるいは見ないようにしているだけなのだと、気づかされたのでした。
普段、自分の住んでいる場所(ヨーロッパや日本)では、自分の生活レベルを飛び越して行動することが少ない分、 旅では、自分の領域を越えた場所や人々に出会えるのが 私にとって旅の醍醐味の一つで、 視点を一つだけでなく、二つ 三つ持ってみると、ますます興味深くなります。
旅する立場としては、貧困地区を見るのは 心地のいいものではないし、何より被害に遭いたくない。
けれど、もしも 自分が極貧地区で育っていたら、裕福そうな人から金品を盗っていた可能性はあるし、 仮に泥棒であっても その人間性が100%悪 というわけでもなく、情に厚かったり、家族思いだったり。
また、教育が行き届いていないのも貧困や犯罪の原因の一つでしょう。
東アフリカでは、外国人の旅人(私)は 現地の一般庶民より お金を持っているから 狙われるのは普通のことで、 悪徳 警察官にワイロを要求されることもありました。 しかし、そんな時に 情の厚い娼婦達に助けられたりしました。
あらゆることが むき出しのアフリカでは、ショックが大きい分だけ 人々の心の熱さに助けられもして、その人間臭さに圧倒されっぱなしでした。
こうして、どんな状況でも、どんな立場であっても、最終的には 人に助けられ、ワイルドなアフリカを経験することになりました。
当初の予定では、アフリカ滞在は3週間程度と軽く考えていたのですが、いざ現地に着いてみると、とても3週間では太刀打ちできるものではないことを知り、また私自身が本当に見たい知りたいことを経験するには、自分もアフリカの中に入りこまなれば分からないだろうと感じて、結果的に5ヵ月をアフリカで過ごすことになりました。
これを機に 私の旅人魂に火がついて、アフリカ→西欧→東欧→アジア→日本まで、陸路+海路の旅(18ヵ月間)へと続いていくのでした。